悲しいのは通じないことではなくて
それでもお客様の所期の目的を達成するお手伝いができ、お客様から感謝されました。その場の言葉だけでなく、実際に指名されて再度同じお客様からお仕事をいただけたことは私の財産です。成功体験というやつですね。その理由としてコストパフォーマンスという要因もあると思いますが、通訳として最低限の役割が果たせたからだと思います。
通訳の仕事は発言者の言っていることを理解して、もう一方の聞き手に分かる言語で伝えることです。通訳としてはよくないのですが、一度聞いただけでは100%理解できないこともあります。そんな時私は必ず発言者に聞き返したり、自分の理解であっているか確認したりします。
このことは通訳業務だけに限らず、他の業務でもよくある光景ではないでしょうか。 以前勤めていた会社で聞いた「会社員の仕事のほとんどは伝言ゲームや」という言葉は名言だと思っています。
私は「伝えたい」「わかりたい」という両者の気持ちさえあれば、たとえあまり言葉が通じなくとも大抵のことは分かり合えると信じています。問題はことばではなく、姿勢なのだと思います。
コミュニケーションにおいて私が悲しいと思うのは、「どうせ言ってもわからない」「言葉がわからないから話さない」という姿勢を二者のうちのどちらかが始めからとってしまうこと。もうひとつは「君の言いたいことはこうなのだろう」と全く違う次元の事を言われること。相手はそもそもわかろうともしていないのかもしれません。「私はわかっている。」と言いながら本当はちっともわかってなどいないのです。話せばわかるなんて幻想です。もし本当なら世の中はきっともっと平和なはずだもの。